卒業制作中間審査会1日目終了。

とりあえず1日目終了。
無事に全体でのプレゼンは切り抜けました。
反応は結構よかったのでちょと安心。
しかしコンセプトを説明してると夢中になってデバイスをいじっている某 原rice-field big-three郎が


「コンセプトはいいから仕組み教えてよ。」と。


一瞬殺意が。
多分奴とは一生仲良くなる事はないと思う(笑
興味をもってくれるのはありがたいけども。


確かにデバイスとか見た目が奇異でコンセプトへの興味が行きにくいのも事実か。
経験の領域に踏み込む事ができているのか?
経験(記述し得ない(野生/狂気/創発))というのは確かに尊いものではあるけれども
標準化、規律されない (される事は永遠にないが)それは怠惰と安易な理解を誘う。


明日は所属するスタジオでの時間をかけてのプレゼン。多分こっちはいろいろ突っ込まれる予感。
いかんせんソフトウェア/物語が書けてない。
作品は物語を持って閉じ、他者性をもって外の世界から逐次的に遮断されないといけない。
外と遮断され、閉じる事で外と無関係なものになり、
無関係で違うものになるからこそ恣意的に外と"同じもの"になるというか"対"になる。
閉じていない言語体系は外を記述できない。
閉じてない作品は問題を指差すだけで、問題を含み、語る事はできない。


一段落したら中西夏之のテキストとか探そう。
http://www.geidai.ac.jp/event/nakanishi/semi.html
http://www.geidai.ac.jp/event/nakanishi/text.html
エス
鏡を目につけて風景を逆転して、山手線を一周する。(環状線であることが重要)
そうすると逆回りの、鏡像としての山手線が描かれる。
前にも書いたけど2ではなくて3の振動。2項の振動のバリエーションを
1つの規律(消失点/極点/鏡/etc..)が保証しているし、それは逐次変更されていく。